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『街のあかり』 (2006年 /フィンランド )
『街のあかり』 (2006年 /フィンランド )_c0110101_2323916.jpg監督:アキ・カウリスマキ
出演:ヤンネ・フーティアイネン/マリア・ヤルヴェンヘルミ/イルッカ・コイヴラ/マリア・ヘイスカネン/カティ・オウティネン/パユ

「酒に煙草に音楽」僕は敵わない。参ってしまう。降参。この三拍子全てを取り揃えているのがアキ・カウリスマキ。だから僕は参ってしまう。

劇場で観るのは2回目。なんて贅沢な気分なんだろう。
アキ・カウリスマキ。相も変らぬ淡々とした空気。会場にはスススと漏れる観客の地味な笑い声。まったりとした空気が充満している。何とも心地が良い。スカスカの映画館でゆらゆらと観賞。

僕の中で一番印象深い映画館の記憶。3Dメガネ(左右にそれぞれ赤と青のビニールが貼ってあるサイケなメガネ)をかけて観た3本立てのアニメ。内容がパーマンだったか忍者だったか定かではないが、赤と青のサイケな世界に耐えられなかった僕はメガネを外し、ただ不貞腐れていた。メガネを外して観るスクリーンは、赤と青の残像がぐわんぐわんと動いて揺れて、とても観れたもんじゃなかった。周りを見渡せば、その奇抜なメガネをかけた親子がのわーっと観ていて。僕は唯々不貞腐れていて。

3Dメガネもアレだが、僕が不貞腐れた一番の理由は臭いだった気がする。菓子やら煙草、加齢臭。トイレはアンモニア臭が充満していて、立ち見も出来ない寿司詰めの会場は熱気でムンムンとしていた。幼稚園児の僕が不貞腐れるには十分な条件が揃っていたわけだ。そういえば、僕が小さいころは斜陽と言われつつも、まだ映画(館)に活気があったんだな。何故かそれを思い出した。プライベートシアターの様なこの映画館で。

“街のあかり”というと、建物の窓から漏れる光や外灯だったりするわけだども、それが美しく見えることがあるのかもしれないけども、あまりそこに優しさや希望は見出せないはずだ(僕の場合はそうなのだ)。高層ビルの上から見下ろす街の風景。行く先を照らす外灯。結局、照らされていない場所は真っ暗なわけでででん。それは一種の孤独感にも似ているのだと思う。極端に言えば、虚無感、絶望。マイナス思考が好物の僕には持って来いだ。そんな街のあかりの下で、独りの男は希望を持ち続ける。何度も打ちのめされるのだが、彼は希望を捨てない。

「全て終わった なんて嘘」

という男の言葉がそれを物語っているのだが、どうにもラストは解せない。犬のように忠実で誠実な性格から男には愛着(上から目線の同情に似たもの)が沸く、それ故、ラストは捨て犬を拾うような感覚に陥る(主人公:ヤンネ・フーティアイネンはあまりにも犬過ぎる)。果たしてそれが希望の灯りなのか?というと、僕の首は左に傾く。やはり、最初から最後まで“受動態”であった男の最後はこんなものなのか。と思うとこもあるが…。

(多少のネタバレになってしまうのだが)つまるところ。ホットドッグ屋の娘の一途な思いが届くこと。それを男が受け入れること。そこには“希望”が生まれるのかもしれないが、決して“幸せ”があるわけではないと思う。単純に観れば“どん底まで堕ちた男に射した希望のあかり”と受け取ることは出来るのだが、それは“救い”には見えない。どうにも皮肉っているようにしか見えないのだ(この解釈はただ僕がそうであって欲しいということなのかもしれないが)。“敗者三部作”の最後にしては何とも物悲しいものを感じた。
# by yoshihit0 | 2007-12-03 01:09 | 観るもの
『青春の殺人者』 (1976年 /日本 )
『青春の殺人者』 (1976年 /日本 ) _c0110101_23325821.jpg監督: 長谷川和彦
製作: 今村昌平 /大塚和
企画: 多賀祥介
原作: 中上健次
出演: 水谷豊 /内田良平 /市原悦子 /原田美枝子

溺愛に埋もれて育った主人公。ひょんなことで父親を殺害。
警察へ、罪を告白しなければ。けども母「親子、夫婦の問題なんだから。国や、警察は関係無い」と息子に言い聞かす。嗚呼…そうか、これは家庭内の問題だ。
ノイズの振れ幅が段々と、次第に大きくなっていく。そして行き違い。ついには主人公、母親までも殺してしまう。

気持ちの悪い作品だ。残忍さ、死体、血などという直球な映像から感じる気持ち悪さではない。むしろそれ自体は地味であると思う。けれども、事件の起こる場所が悪い。どこにでもあるような一軒家。実感は無いが、覚えのあるその内装。そして何より、子供を想う親の優しさがこの家に妙な親近感を湧き立たせる(親としての精一杯の愛情と、それに順ずる主人公の関係)。

そこで起こる殺人は酷く「家庭的」だ。死体からぬるぬると流れ出る血。ゴトンと落ちたキャベツの一部が紅く染まる。頭がぐちゃぐちゃに掻き回された。よく知ったキャベツが血に染まる。それは映画の中での殺人が僕と映画の境界線を踏み越えた瞬間かかかとと…嗚呼、気持ちが悪い。足の指がゾワゾワする。

しかし、不思議だ。こんなにも気持ちの悪い演出があって、参らされてしまっても、作品の中に青春とも錯覚してしまう様な「爽やかさ」を感じてしまう。例え、青春を終えた後での殺人であっても、青春の青臭さを残したまま成長したにしても「爽やか」を感じてしまうのである。それは決してゴダイゴの音楽効果では無くて、何をするにもピントの合わない、主人公の無我夢中の情けない逃走劇とそこに織り交じるほどよいエロスが作り上げているのではないかと僕は思い込む。

(またもやエロだ。エロ方面へ持っていってしまう自分が恥ずかしい。中学生のようなエロ話しかできない自分を馬鹿にしてやる。エロへの逃避、走れエロス、エロ大名、エロイズミ。僕はエロという言葉が好きなんだ。エロという名の紳士だよ。僕の青春ははしたない)

青春の殺人者。読んで字の如く、青春が詰まった情けない殺人だ。76年制作。31年も経ってはいるが巷にゃ阿呆な事件が溢れています。それを青春と呼ぶのは、あまりにも滑稽だよなぁ。
# by yoshihit0 | 2007-09-22 01:09 | 観るもの
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』 (2007年 /日本 )
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』 (2007年 /日本 )_c0110101_21522180.jpg10年振りに観た「エヴァンゲリオン」もとい「ヱヴァンゲリヲン」は、思い出をそのままスクリーンに映写されているようで、何だかくすぐったい気分だった。が、そう思えるのは上映開始からの1分間。大抵、思い出などという美化された記憶なんてものは現実を知れば絶望してしまうものだけど…この「ヱヴァンゲリヲン」は違う。美化の二乗とでも言えば良いのか、期待を裏切らない。それ以上。とんでもないことになっている。

全てがリフレーン。知った物語をなぞっていく作業。あれがこーなって、これがそーなって…うん、そう、分かってる。分かっているのだけれども、気持ちは高揚し、鳥肌が立ち、溜め息が出てしまう。要所を押さえた構成と、コレでもかと見せ付けられる画はどうしようもなく楽しい。更には新たなる謎とその伏線。「今更」なんて言えるわけが無い。

思春期をとうに過ぎた僕。ヱヴァンゲリヲンを観てふと思う。「エロい」と。というのは、健全な男子であれば誰もが覚えのあるはずであろう、思春期に感じるあの悶々とした欲求がスクリーンに映写されているということ。主人公が中学生ということもあってなのか、女性が登場するカットは全てフェチズムに溢れる構図で“中学生の視点”だとしか言い様が無い程あざとくてあざとくて(当時、僕が夢中になってしまった原因の一つだろうさ「思春期アングル」とでも名づけるべきだ)。

この作品自体が思春期なのかとも思う。思春期の曖昧さ不条理な感情の起伏やら、実生活の悩みやら、エロやら、エヴァで使徒と戦ったりやら。何かそういうのが全て作品に出ているような気がして。前作は思春期真っ只中で、今回は思春期の回想なんじゃねぇのかね。

と、いう様なことだったりを僕らは気持ち悪く話します。映画を観た後なんて話したくて話したくて仕方がありません。ウフフ、アハハ、ゲヘヘ。と、僕らは観賞後、雑談に華を咲かせます。

こういうのが一般の劇場で当たり前に上映され、僕らは当たり前にそれを観て…。これが一般(世間)に了解されていることがエヴァンゲリオンの最大の魅力。だと思う。ヲタクわっしょいなのである。……正直、これ以上の文は書けそうに無い。結局、10年経ってもあの当時の衝撃、興奮を拭い去ることは出来ず、冷静な判断と言うものが出来ないわけで。ただただ思うのは思春期のエロスなのである。嗚呼…下衆過ぎる。

いや、しかし、書けないと言うのは正しいことだとも思う。というのも、この作品(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序)は以前のエヴァとは違い、活劇的で、エンターテイメント性の高いものだから。純粋に「楽しい」という感覚が強くて。漫画やアニメの本来の姿。「次回もお楽しみに!」というフレーズにウキウキと来週を待ったあの気分で観れるのである。勝手に一人歩きし、崇拝された鬱アニメの正しい消化方法。思春期を終えた、本来の姿なのではないだろうか。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』 (2007年 /日本 )_c0110101_2048855.jpg
# by yoshihit0 | 2007-09-19 01:09 | 観るもの
MONO
『You Are There』 (2006 /日本 )
MONO_c0110101_16221419.jpg溜まりに溜まって溢れ出た感情。という奴はとても暴力的で、魅力的で、繊細で、不安定だ。なんてことを言う(又は表出させる)のが許されるのは思春期まで。パンカビの様な髭を生やした男が口にしても何の魅力も無い。そして、そんな男の激情が許されるものの一つは音楽であると僕は信じている。

僕の故郷は雪の積もる町だったもので、雪の積もらないこの町はどうにも気持ちが悪い。いや、便利であることは確かなのだが、どうにも張り合いが無いというか何というか…。

雪が積もると当然、交通機関に支障が出る。勿論、当時学生であった僕にもその影響は出る。バスの遅延やら自転車登校やら…歩くのだって一苦労。でも、そんな中を登校したり、友人の家へ出掛けたり、それがたまらなく楽しかった。吹雪の中、お年玉を抱えて駅前へ自転車を走らせ、帰りはギターを担いで帰ってきた。自宅に帰って気付いたのは前髪に出来たつらら。

と、思い出に浸るのもいい加減にした方が良い。安っぽい文章になってしまったが、要するに「苦労をして得る何か」って素敵だ。っていう単純な話だ。そういった演出が加わった方がより記憶に残る思い出になるし、得た何かを大切に出来る。それ自体が綺麗なイメージとして残る(逆もあるけども)。最近は起こる事柄(イベント)が全て演出に思えてくる。ロマンチスト?それとは違う。もっと下衆な部類。

そんな下衆男の感情を表出させた音楽は雪景色を髣髴とさせるエモーショナルなロック?最近は音楽ジャンルが細かすぎてわけがわからなくてわからららななくくくてててて。秋をすっ飛ばして、これから来る冬に備えての予習です。ピアノとノイズ、ヴァイオリンが冬将軍。激情を表出できない誰かのカタルシス。
# by yoshihit0 | 2007-09-17 01:09 | 聴くもの
[台]所から異臭がするので部屋の[風]通しを良くしてみた
“何か臭い…”けれども友人は気付いていない。どうにも鼻に付く臭いだったのでフガフガと自慢の鼻で臭いの元を探ってみる。すると、クローゼットの中に仕舞ってあったTシャツが発生源だったことが判明。なんてことが過去にあった。

僕の鼻は意外にも敏感で、この様に“他人が気付かない臭いに気付く”ということが度々ある。同時に他人が感じないストレスを受けることも多々あった。特に神奈川へと住所を移し、都内へ足を運ぶようになってからは相当参ってしまった。臭わない場所など一つも無いのだから…ホント参ってしまう。都会の臭いとでも言うのか、その悪臭は田舎育ちの僕には衝撃的だった。地下から吹き上げる生温い風に混じって漂う都会の臭い。平然と行き交う人々が気持ち悪く思えた。

そんな悪臭が我が家の台所から臭ってくるのだから堪ったもんじゃない。決して僕が掃除等を疎かにしていたからではない。生ゴミもちゃんと処理している。けれども臭う。あの最低な臭いが部屋に充満する。…もしかすると、このアパート全体の下水が最終的に僕の部屋の下を通って排出されているのではないか?糞ッ垂れ目。考えによっては他人の糞の臭いを嗅がされているということだ。畜生、どんな恥辱プレイだ。と、窓を開けると何やら嫌な風が吹いている。台風9号が近づいてきているらしい。ビャアッと顔に雨が吹き付ける。僕は仕方が無く窓を閉める。嗚呼…助けてください。

しかしながら、「におい」というのは文章や映像以上に頭の記憶・イメージを引き出してくれる。
夕陽が照らす帰り道、どこかから漂ってくるカレーの匂い。ごろんと寝転ぶと香る畳の匂い。例えその場に存在しなくとも、匂いを嗅げばそのイメージが一杯に広がる。景色、人、食べ物、乗り物、思い出、etc..etc...一度頭に焼き付いた匂いはそう簡単には消えない。だからさ、この台所の臭いをどうにかしてくれよ。

明日は台風が上陸するらしいから、今日のうちに買出しを…という考えは皆同じようで、近くのコンビにへ行きますと、コンビニで買う量じゃない量を主婦の方々がレジへ並べていました。台風がくると何故かテンションが上がってしまう僕。不謹慎だとは分かっていながらも上陸が楽しみで仕方がありません。

[台]所から異臭がするので部屋の[風]通しを良くしてみた_c0110101_0304517.jpg[台]所から異臭がするので部屋の[風]通しを良くしてみた_c0110101_0324843.jpg
# by yoshihit0 | 2007-09-06 01:09 | 雑記



07. かいじゅうゴミイのしゅうげき [0:00]
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